魅力を知る

vol.2 小野酒造店 小野能正さん

2013年9月26日

小野能正さん小野能正(おのよしまさ)さんは辰野町にある初期中山道と三州街道が交わる小野宿に株式会社小野酒造店をかまえ、その代表をされています。小野酒造店は元治元年(1864年)小野庄左衛門によって創業され、「夜明け前」「頼母鶴」を主銘柄として販売されており、「好々爺(こうこうや)」という米焼酎なども造られています。小野宿の街並みにふさわしい趣のある酒造店は「千歳屋」と呼ばれており、現在でも酒造店の各所に千歳屋の屋号が描かれています。

小野地域はかつて頼母(たのも)の里、または憑(たのめ)の里と呼ばれ、枕草子にも詠われる里としても大変有名であり、「頼母鶴」の名称は頼母の里から名付けられたものだそうです。頼母鶴の書体は1919年にフランスへ渡り、マティスに師事した中川紀元(辰野出身の洋画家)が、お酒が好きなことから小野酒造店を度々訪れ、紀元が色紙に頼母鶴の文字を描いたものが、現在のお酒のラベルに使われているそうです。また、昭和47年島崎藤村生誕100年を記念して名付けられた「夜明け前」は島崎藤村の代表作の名でもあります。作品「夜明け前」の主人公、青山半蔵のモデルであり藤村の父である島崎正樹は度々小野の地を訪れており、島崎藤村の著書である「夜明け前」にも小野の地との深いつながりが記されています。また、小野酒造店(当時の千歳屋)が明治維新前夜(元冶元年)の創業であったことから、「夜明け前」という銘酒が誕生したそうです。 去年から開催されている初期中山道小野宿市(小野宿市実行委員会主催)では小野酒造店もイベントの企画をされており、小野を元気にしようと地元の方々が集まり酒蔵を解放して新酒の試飲会やライブなど、さまざまなイベントが催されました。小野さんは将来の両小野地区の活性化を期待し、地域に貢献できればと努力されているそうです。

小野酒造店小野さんと小野宿の問屋(本陣造りの建物)とは深い関係があり、1864年に11代目のご兄弟が問屋より養子に来て造酒屋を始めたという歴史があります。そんな時代背景をお持ちのためなのか、歴史に大変興味をお持ちで、中山道に限らず、地域の歴史について詳しい知識をお持ちのようです。小野さんの話によると初期中山道(1601~1614)は江戸幕府が開かれて間もなく五街道のひとつとして開通し、小野宿もその時代に繁栄していきました。また、北小野には石灰があり、農地を耕すためには必要不可欠なものとして小野宿を繁栄させたそうです。江戸の住宅ブームにより木曽の材木を江戸に運ぶための最短距離として初期中山道がつくられましたが、峠を2つ越えなければならなかったことと松本藩との関係もあり、十数年で初期中山道は新たな中山道へと移行していったそうです。

小野さんにとって中山道の魅力をお聞きしたところ、「初期中山道は山間の道で昔の街道の風景が残っており、一里塚が3つ(五十八里、五十九里、六十里)残されています。特に楡沢の一里塚は当時の面影を残すいにしえの場所です。」また「人が散策するには岡谷から小野、小野から日出塩と歩くには丁度いい距離で、小野がちょうど中間点になります。小野にも美味しい飲食店などもたくさんあるので是非訪れていただきたい。」と語られました。また、おすすめの場所として「小野宿には矢彦神社や小野神社、問屋といった昔の歴史を感じさせてくれる家屋が多く残っており、北小野には筑摩書房の創立者「古田晃記念館」があります。里山には眺めのいい自然が広がり、のんびりと歩きながら楽しむことができます。」と語っていただきました。

初期中山道の小野宿がある小野地区は松本・諏訪地方と伊那谷との境界であり、西は牛首峠を越えて贄川宿、東は小野峠を越えて下諏訪宿へと続きます。三州街道を北に向かって善知鳥峠を越えると塩尻宿、南は川沿いに下って宮木宿へと続き、小野宿は両街道の交点として繁栄していきました。来年のルート変更後の中山道400周年記念、2016年には「中道」から「中山道」に改名されて300周年という節目であり、小野さんから中山道事業について「古い歴史を見直してもらえることは嬉しく、大変いいことだと思います。」と感想をいただきました。

株式会社小野酒造店
住所:長野県上伊那郡辰野町小野992-1
電話:0266-46-2505

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